大博通りを蔵本の交差点のうなぎ「柳川屋」の芳しい匂いを嗅ぎながら、博多小学校を更に北に下った所に、「博多区奈良屋町13」の住所表示が在る。そこを西に10mの所に、等身大の菩薩像が祀って有る。
「萱堂山 光西寺」跡である。聖福寺の末寺で臨済宗。1206年開創-明治5年廃寺。
石城三十三か所観音道場の31番札所。豊臣秀吉の博多七堂の1つでもある。旧町名の萱堂町は、この寺に起因する。
この菩薩像の裏に石造りの社が有り、この中に、光西寺の本尊の「魚腹地蔵」が祀られている。年一度、7月に読経が行われている。
魚腹地蔵とは、地蔵様を深く信仰する母が死に臨み、子供に鏡を渡し、「母が恋しい時はこの鏡を見なさい。大きくなったら仏門に入り精進しなさい。それが母への親孝行です。」と言い残す。その後、子供はこの鏡をお地蔵様にしお守りとして肌身放さず身に着け、何時かお堂を建て祀りたいと思っていた。
安芸の宮島に祈願に行った折、大きな魚に襲われ、お地蔵様が海に落ちてしまった。ところが、帰路酒の肴のサメを買った所、その腹の中からお地蔵様が出てきた。厳島明神様のお蔭と大いに喜び、博多に帰りお寺を建て、この地蔵様を本尊とし、地蔵様の慈みが西海に広がるようにと願い「光西寺」と命名する。江戸時代の古地図にも記載されていて、久しく栄えた寺と確認できる。
又、西方寺前町という旧町名の起因である「西方寺」の末寺でもある「観音寺」がすぐ西側に在る。ここには、やはり豊臣秀吉が作った、七観音の1つが祀られている。ここにも、「日切地蔵様」が祀られていてお寺の外に置かれていてお参りも出来る。
お参りするときは、お寺に声を掛けた方が良いかもしれない。西方寺にも、「震災地蔵」が置かれている。
魚腹とか日切とか震災とか、お地蔵様に名前が有り、その意味を知るのも面白い。
お地蔵様信仰は、鎌倉時代に遡り観音様信仰と双璧である。観音様は秘仏であることが多いが、お地蔵さんは路傍のどこにでも有る。
ここ博多区にも、色んな所にお地蔵様は点在し気軽にお祈りが出来る。
等身大の菩薩像
魚腹地蔵を祀る社
目切地蔵