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『板付遺跡』 (日本の稲作のルーツは博多区板付であった)

2015年05月18日(月)
コラムニスト

博多駅よりバスにて30分で板付遺跡に到着する。縄文時代晩期から弥生時代の日本稲作文化発祥を裏付ける遺跡である。

この遺跡が発掘されるまでは、弥生時代が定説だったが、縄文時代後期に既に稲作が行われていた事が実証された。

板付団地の中に遺跡が残っている。福岡市とその周辺は、弥生時代の遺跡・遺物が極めて多い所である。中国の魏志の倭人伝に出てくる「奴の国」は、怡土国と宇美国の間に在り、卑弥呼が支配する30国の中でも、邪馬台の国、投馬の国に次いで三番目の大国である。那珂川流域から博多湾周辺に「奴の国」があったと推定される。

板付遺跡の中に「板付遺跡弥生館」が有り、色んな展示物が見られる。管理人の了解を取り撮った写真をも添付する。

弥生時代初期の水田からは、弥生人の無数の足跡が見つかり、その下部には、夜臼式土器(縄文時代の土器)・炭化した米粒・石包丁も見つかり、稲作は弥生時代からとの定説がくつがえる発見であった。

近くには、福岡市埋蔵文化財センターが有り、昔のロマンを垣間見る施設が有り、考古学に興味が有る人にとっては、土器等も見られ絶好の勉強の場である。

小学生達の格好の歴史を触れる場でも有り、大勢の来館者がある。

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