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コラム

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『与謝野鉄幹の五足の靴の碑』を見つける。

2016年03月17日(木)
コラムニスト

中洲の博多川沿いの「川丈旅館」の玄関前に在る。
「五足の靴」とは、与謝野鉄幹、木下杢太郎、北原白秋、平野万里、吉井勇5人の歌人が旅し、その紀行文をリレー方式で書いたものである。
37才の与謝野鉄幹と20才代の学生の5人で、主に九州西部を中心に旅行した旅行記が、明治40年に東京の新聞に掲載されました。
東京を夜行列車で出発し、下関にて一泊、明治40年7月31日に中洲「川丈旅館」に泊まる。その折、原田種夫が中心となり「福岡文学会」が開催されている。その後、九州を南下し、柳川の北原白秋の実家に泊まる。佐賀、唐津、佐世保、平戸、長崎、天草、島原、熊本、阿蘇、三池炭鉱、北原白秋宅で連泊、徳山、京都を回り旅行記が完結する。
白秋も他の方達もこの旅行にて、名前が響き渡るのです。
碑文の中に、吉井勇の詩が書かれている。
「旅(はたごや)籠屋の名を川丈といいひしことふと思い出てむかし恋しむ」と。
南蛮文学の花が繚乱と開くのはそれからであったと碑には記されている。
原田種夫は、中央に行かず、地元で九州文学を中心に活躍する。
北原白秋を師としてその影響も大きく、北原白秋も九州文学への傾注は並のものなかった。
又、櫛田神社に鹿児島寿蔵の碑がありますが、博多紙塑人形を創始し、人間国宝で有った歌人も、九州文学にも多大な影響を与えました。
博多川の畔には、歌人たちの溜り場であった「ブラジレイロ」の跡地に原田種夫の碑が有り、九州文学の発展に大きくお世話になった事が書かれている。
博多中洲でも、結構、文学散歩が出来る。

 

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