明治の博多を盛り上げたアイディアマン・博多商人の八尋利兵衛。 キャナルシティ博多近くの清流公園にある「博多町家寄進高灯籠」は,常夜灯として明りを灯していましたが,四面にはびっしりと協賛した商店の屋号が刻み込まれており,当時では珍しい広告塔としての役割も果たして......
空海[くうかい] 平安時代初期の僧で真言宗の開祖、弘法大師の称号で親しまれています。 東長寺 804年、遣唐使の留学僧として唐に渡り、当時の最先端の学問を学んだと言われています。天台宗の開祖である最澄とともに奈良仏教から平安仏教への流れを作った......
戦国時代 合戦により荒廃した博多の町の復興を豊臣秀吉から命じられた中津藩主 黒田官兵衛孝高は、博多商人の協力を得て博多の復興に力を尽くしました。この再建は太閤町割りと呼ばれ、現在の博多のまちの基礎となっています。 徳川の時代になり、黒田官兵衛の子 長政が筑前藩......
川上音二郎は1864年博多の大きな藍問屋に生れ世界を駆け巡った明治の演劇人です。 14歳の時に博多港から大阪に渡り歩いて東京まで行き給仕や巡査などの職を転々としたのち、郷里で政治運動に投じ、自由童子と名乗って過激な言動に走りしばしば投獄されます。 やがて、政談......
豊臣秀吉[とよとみ ひでよし] 豊国神社 博多の町は大内氏の没後、大友氏と毛利氏、大友氏と島津氏による合戦で荒廃を極めました。 1587年に九州平定を成し遂げた豊臣秀吉は、石田三成や黒田官兵衛(後の如水)に荒廃した博多の町の復興を命じました。復興にあたっては......
謝国明[しゃこくめい] 日宋貿易が盛んであった頃、博多は多くの外国人商人の往来する国際都市でした。 大楠様 その中で、博多の地に住居を構える者も現れ、「博多綱首」と呼ばれるようになりました。 彼らは当時の寺社との結びつきが強かったと言われており、その......
大賀宗九[おおが そうく] 安土・桃山時代から江戸時代にかけて活躍した博多豪商・三傑(他:神屋宗湛、嶋井宗室)の一人であり、大賀家は元々豊後の大友氏に仕える武士でしたが、大友氏の没落後に商人に転身したと言われています。 大賀宗九の墓所 「幻住庵」 福岡藩主......
嶋井宗室[しまい そうしつ] 戦国時代から江戸時代にかけて活躍した博多豪商・三傑(他:神屋宗湛、大賀宗九)の一人であり、日朝貿易で巨万の富を築いたと言われています。 崇福寺 神屋宗湛と共に、博多の再興や福岡城の築城に尽力した人物で茶道や禅に精通......
神屋宗湛[かみや そうたん] 戦国時代から江戸時代にかけて活躍した博多豪商・三傑(他:嶋井宗室、大賀宗九)の一人であり、茶人としても世に広く知られた人物です。 神屋宗湛居士墓所 曽祖父の寿貞は石見銀山の本格的開発に携わった人物であり、宗湛以前から豪商の地位......
聖一国師[しょういちこくし] 鎌倉中期の臨済宗の僧 承天寺 宋から帰国後に博多綱首・謝国明の協力を得て承天寺を開山しました。 聖一国師は宋から、うどん・そば・羊羹・まんじゅうなどの製法を日本に持ち込み伝えたと言われています。 また、当時、博多で疫......