川上音二郎は1864年博多の大きな藍問屋に生れ世界を駆け巡った明治の演劇人です。
14歳の時に博多港から大阪に渡り歩いて東京まで行き給仕や巡査などの職を転々としたのち、郷里で政治運動に投じ、自由童子と名乗って過激な言動に走りしばしば投獄されます。
やがて、政談演説が禁止されると、落語家桂文之助に入門浮世亭○○の芸名で大阪の寄席で時局風刺の漫談を演じます。1887年には京都の中村駒之助一座で俳優としての経歴を始めます。
その後、書生芝居の一座を組んで巡業を始め東京の開盛座や中村座公演を果たしたのち、自由民権運動をからませた羽織袴に陣羽織姿にハチマキ、手には日の丸の軍扇という出で立ちで唄った「オッペケペー節」が一世を風靡しました。
1899年にアメリカに渡り興業、翌年にはパリ万博に呼ばれて公演し大人気を博しました。
「オッペケペー節」
権利幸福嫌いな人に、自由湯(じゆうとう)をば飲ましたい
オッペケペー オッペケペー オッペケペッポ ペッポッポ
堅い裃角取れて マンテルズボンに人力車
いきな束髪ボンネット 貴女や紳士の扮装(いでたち)で
表面(うわべ)の飾りは立派だが 政治の思想が欠乏だ
天地の真理がわからない 心に自由のたねをまけ
オッペケペー オッペケペー オッペケペッポ ペッポッポ