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幻の鎌倉幕府「鎮西探題」跡

2013年03月02日(土)
コラムニスト

九州の政治の中心地は平安時代の後半、1158年、平清盛が大宰大弐になると大宰府から博多へ移ったが、名実ともに博多が政治の中心になるのは、蒙古襲来(弘安の役)後、鎌倉幕府が鎮西探題を博多に設置した後となります。

その場所がどこかについては諸説があり、まだ明確に特定が出来ていないが、博多区冷泉町所在の博多祇園M―SQUAREビルあたりが可能性が高い場所と言われています。

このビル建設前におこなわれた発掘調査では鎮西探題を確実視出来る建物跡等は発見されなかったとのことだが、鎌倉時代を含めた膨大な貿易陶磁器や銅銭、ガラス製作関連遺物など貴重な資料が発見されており、現在、その一部の写真がビルの外装地に展示されています。

鎮西探題は、どのような施設であったのか?遠い昔の鎌倉時代を思い起しながら、展示写真を見学されては如何でしょうか。

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