太閤町割りによって出来た「職住同一の家」が博多の町家(商家)です。
博多は町人の町、家々が密集、町家は間口が狭く、奥行きが長い建物で、 しかも隣家との隙間は無く、裏に行くには家内の「通り土間」を使用していました。
従って、博多には路地は無かったのです。 「博多の路地歩き」云々の書き方は正しくありません。
江戸時代の博多町家は、ほとんど現存していませんが、それに近い様式は 「博多町家」ふるさと館に移築復元されている明治時代建築の町家で見ることが出来ます。
ぜひ、見学下さい。
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