11世紀後半より、博多は日宋貿易で栄え、中国人の居住地、日本初のチャイナタウンも存在した。
その頃の博多は息浜と博多浜に分かれ、 入り海は平清盛が造った貿易港「袖の湊」があったと考えられていた 「博多川、寿橋下に説明碑(画像)」。
ところが80年代の発掘調査により、「袖の湊」は12世紀初めには埋め立てられて、 清盛の時代には無かったとの結論になっている。
和歌にも詠まれた「袖の湊」は幻だったのです。
博多の歴史は興味津々。我々ガイドの話を聞いてみませんか!!
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