美野島地区を散歩する。美野島と住吉の二つの地域に分かれている。綺麗な小物屋、野菜屋、パン屋、うどん屋が軒を並べ、覗きながら、ゆっくりと楽しめる街である。
以前から住んで居る人が言うには、美野島は従来一面田んぼ畑で、日本足袋(日本ゴム)工場の跡地を購入した九州松下電器(パナソニック)が見わたせた田園地帯であった。
「筑前簑島駅」の朝夕は通勤ラッシュで高度景気の象徴、夢多き時代であった。
箕島駅の表札は、筑肥線当時の物では無く、観光客用に作られた表札である。写真添付。
近くの美野島公民館に寄ると、「筑前簑島駅」当時の写真も有り公開されている。
博多駅→「筑前簑島駅」→筑前高宮駅→小笹駅→鳥飼駅→西新駅と懐かしく思い出され、各駅に思い出をいっぱい残し、1983年(昭和58年)に廃止された。
昭和12年に国有化された国鉄筑肥線の終焉であった。
百年橋通り(明治100年記念)・こくてつ通り(博多駅の移転に伴う線路跡)・美野島通りに囲まれた街の賑わう再生を心密かに願いつつ散歩する。
マンションの間にうずくまる民家が有り、表札名は同一性が多く見られる。一族だろう。
住吉神社に残る絵馬に蓑島の地名が有り、歴史的には古い町である。
四十川が書かれていて、川からの水が堆積した島と思われる。
「厳島神社」・「弁財天宮」とお宮が在り、「博多駅地区区画整理の為前鎮座地より当地に遷座 昭和43年5月吉日」と石碑に書かれている。
又、「住吉宮式年遷座蔡記念」と書かれた石碑、石碑には寄贈された方達の名前が連ねられている。
鉄道の枕木と思われる石も無造作に置かれていた。
何れも、社務所みたいな物は無く、施錠された室の中を見る事は出来ない。
掃除は行き届いており、地域の方達が守って居られるのだろう。
既に投稿した「菅原神社」毎月25日、住吉神宮の宮司が来られ神事が開催されている。地区の代表共々で、お祓いを受け、盃を頂き、毎月束の間の心の安らぎの時間を過ごしている。写真添付。
夕方の八百屋等での買い物客は多く、新鮮で安い。
ちょっと散歩するのも宜しい穴場かと思う。