住吉大社所蔵の絵馬に書かれた「博多古図」には、那珂川の河口に土砂が堆積して出来た島
「簑島」が在ります。又、簑島の右上には現在の薬院新川である「四十川」が見えます。
この簑島が、美野島となり、元祖博多の台所の美野島商店街となり繁栄しています。
土曜市やまつりが開催される時はすごく賑わいます。
商店街の中ほどのスーパーマルショクの裏に「菅原神社の拝殿」が有ります。
鳥居の額には「天満宮」と書かれています。
住宅地の中の昔から親しまれた鎮守さまです。
歴史は定かでは有りませんが、長老や神官の話では、住吉神社と同時期に建てられたものとか。
毎月25日に月例祭が催され、住吉大社より神官が来られ神事が行われています。
住吉大社の神官が、菅原神社の神官も兼務されているとの事です。
その昔、菅原道真は右大臣でしたが、左大臣の藤原時平に懺悔され、901年大宰府の権師として左遷されました。
海路九州に来られますが、袖の港に上陸された折、綱を巻いて迎えたと言う「綱敷天満宮」。
庄村付近の四十川に臨んで水鏡を見ると、罪も無く咎めを受けて衰えた容姿が映っていて嘆かれました。庄村の人達は、そこに「水鏡天満宮」「鏡天満宮」を建てて崇拝しました。
その後、簑島の菅原神社にも寄られお休みになり、そこから、陸路、重い足で大宰府に行かれた事が想像されます。
美野島商店街の近くには「菅原神社」の他、「出雲神社」「延命地蔵」「弁財天宮」「厳島神社」が在り、多くの人達が色んな思いを頼んでいた事でしょう。
菅原道真のその昔を振り返りつつ、下町を歩き、買い物するのも良いかと思います。