ここは、上呉服町普賢堂通り、博多最古の道と言われている。
1587年の太閤町割り以前は、聖福寺の敷地内で寺中町を形成していた場所である。
古い絵図などの研究から、中世からの町割りを残していると言われている。
中世の町割りと太閤町割りは少しズレがある。
中世の町割りは、太閤町割りと比べて、東西方向で南側に約10度のズレがある。
写真では、道が左側(南側)に曲がっているのが分かる。
この道の延長線を歩いて行くと、明らかにズレが分かる場所に出る。
ここも、太閤町割り以前は、聖福寺の寺中町だった場所で、手前が中世の町割り、向こう側が太閤町割りの残りである。
博多の町は、歩くだけで中世を感じられる町、今回の緊急事態宣言で、企画ガイドが中止になりましたが、コロナが収束してきたら、また、博多の町を案内しますよ!