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博多文学散歩

2021年05月11日(火)
コラムニスト

○昭和9年、東中洲の那珂川沿いに、ブラジルコーヒーと食事の店として、モダンな店「ブラジレイロ」が出現した。

 昭和初期の福岡にハイカラな白亜の2階建てで、内装もアールデコ調の店でした。

 福岡の文学を語るとき、忘れてはならないのは「カフェ」(喫茶店)の存在である。

 作家や詩人、文学を志す若者たちが、頻繁にカフェに足を運び、その様子は多くの文学作品にも描かれている。

  特に東中洲の「ブラジレイロ」は夢野久作、原田種夫、北原白秋、火野葦平等、文学を志す者たちのいこいの場であった。

 1杯15銭のコーヒーを手に論を交わした文化的サロンであり、食事については、福岡の洋食の草分けであった。

 クリスマスには店員による仮装でもてなし、フルコースの料理を提供。戦争でいったん店を閉めたものの、戦後の1946年に奥堂で再開し、

 1951年に現在の店屋町に移転した。最初の「ブラジレイロ」後には、現在、原田種夫の詩碑が建っている。

 この碑に刻まれた文字は、原田種夫が平成元年、88歳で亡くなる1月前に書かれた筆跡である。

○原田種夫は、春吉に生まれ、詩人を志し北原白秋に師事し、芥川賞や直木賞の候補にも何度か選ばれたが、他の作家のように上京して

 活躍することなく、生涯を通じて故郷博多を愛し、博多で作家活動を続けた。

 中央の文壇と地方の文士たちをつなぐまとめ役として奔走したことから、「九州の黒子」と呼ばれている。

〇大正・昭和初期の福岡の文学を語るとき、外すことはできないだろうといわれている夢野久作は、福岡の方言で「ぼんやりした人」と言われた。

 私生活はなかなかハイカラで、帽子にパイプで中洲のカフェへ出かけ、テニスやトランプに興じ、朝食は久作だけパンか紅茶だった。

 三人の子どもに対しては、伸び伸びした子どもに育てたいと、昔語りをしたり、キャッチボールの相手をしたりした。

 執筆に10年以上かけた、幻摩怪奇小説「ドグラ・マグラ」出版の翌年(昭和11年)に、47歳の生涯をとじた。

 

※「福岡・宗像・糸島の歴史」 石瀧豊美 監修 郷土出版社 参照

※写真はブラジレイロ

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