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博多小学校に元寇防塁がある・・・その理由は・・・

2017年01月24日(火)
コラムニスト

大博通りと昭和通りの交差点にある博多小学校は、新しく出来た小学校で、以前は奈良屋小学校でした。
13世紀頃この辺りは浜辺で、息浜、博多浜と呼ばれていました。現在の博多の地図を重ねてみると、下図のようになります。
1274年元軍は、28,000人と、船900艘で博多湾から上陸し、日本側と激しい攻防が繰り広げられたのが丁度このあたりなのです(文永の役)。日本側は、何とか元軍の大船団を撤退させたわけですが、次の襲撃に備えて海岸沿いに20kmの防塁を築き備えたのです。その一部が博多小学校の防塁です。 2回目の襲撃は、1281年に14万人の兵と4300艘の船でしたが、防塁の効果等により撤退させることが出来たのです。

13世紀頃の博多小学校付近の地図に現在の博多の地図を重ねた地図です。元軍の上陸地点となる場所は、博多小学校のあるマークの海岸あたりです。

博多小学校の防塁
土、日、祝日は無料で入館することが出来ます。
また、館内を案内してくださる方もおります。

 

博多の魅力