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コラム

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「鏡天満宮は、旧福岡銀行本店の裏に在った頃も有る」

2017年11月22日(水)
コラムニスト

ホテルオークラ福岡に隣接する「鏡天満宮」は、川端新道(寿商店街)に在ったが第二次世界大戦で消滅し再建されなかった。
「冷泉地区自治連合会の冷泉のあゆみ」の中で、以前は福岡銀行の裏に在って相撲大会を催したと記述がある。場所の特定は出来なかったが、戦後の再建が儘ならず仮設的に設けられた物と思われる。

鏡天満宮の由緒は、菅原道真が左遷され海路にて博多に上陸した場所で、道真が船旅の疲れで寄ったこの地で、我が顔の痩せ細った姿を写した「鏡」が祀ってある。

道真が京都の自宅を出る時謳った
「東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」

写真は、太宰府天満宮のおみくじで、「大吉」を当てれば、この歌が書かれている。

道真の生い立ちの一部は、
899年、藤原時平は左大臣、菅原道真は右大臣になる。
901年1月7日、時平と同時に従二位となる。
01年1月25日、時平の陰謀で無実の罪を着せられ太宰権師(ごんのそち)として左遷される。
時平による陰謀は、後醍醐天皇が拝命し、宇多法皇が無罪をかばうも受け付けられなかった。
時平は妹を後醍醐天皇に入内させ、その子が保明親王である。
923年21才の若さで死亡・それより先に時平も死亡している。
その間色んな不吉事件が重なり道真の祟りと言われる。

923年4月24日 天皇家も心配され、道真を元の右大臣に戻し正二位と生前の位より昇進させ、左遷の証書を破棄した。
903年、大宰府南官で閉門謹慎し一歩も出ず質素な生活を送りつつ逝去する。
道真の遺言で、埋葬する折牛車が動かなかった所に大宰府天満宮が建てられ、後世の我々も菅原道真と話が出来る場所でもある。

博多には、道真を慕い漁民達が綱を巻き座布団として差し上げたとされる「綱敷天満宮」、住吉神社の絵馬にも書かれている四十川の川面にて自分の姿を見たと言う「水鏡天満宮」、その前身の中央区薬院に在った「容見天神跡」橋が残っている。水鏡天満宮は、1612年黒田長政が福岡城を建立した折、鬼門封じで現在地に移転される。
福岡市天神の地名の由来でも有る。

 太宰府天満宮のおみくじ

容見天神跡の橋

鏡天満宮

 

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