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「博多駅のトレイン・ビュー」ってどんなところ?

2023年12月15日(金)
コラムニスト

○博多駅ビル9階の「T・ジョイ博多」の映画館入り口近くから、「トレイン・ビュースポット」に入る事ができます。中に入ると、そこは、欧州の豪華列車を思わせる内装の展望休憩室です。また、鉄道好きな子ども、マニア、ゆったりとすごしたい人、映画の上映時間を待つ人等にとって、退屈しない休息の場所です。眼下に電車、特急電車、新幹線車両をみることができます。福岡市の北側の、山並み、千早駅周辺の高い建物、アイランドシティにある高いマンションの建物等を見晴らすことができます。また、空には、博多駅から近くにある福岡空港に着陸する為に、高度を下げる飛行機を見ることもできます。「行ったことがない。」と言う方は一度のぞいてみませんか?

○立花山ってどんな山?トレインビューから正面に見える海側から三つ目の山が立花山です。山頂より見下ろす福岡市・玄界灘がすばらしいところですが、かつて幾度となく戦乱に巻き込まれ、攻防を繰り広げた立花城がありました。1571年、大友家の武将・戸次鑑連(べっきあきつら)が城主(立花道雪(たちばなどうせつ))となり、父の後を継ぎ、娘の誾千代(ぎんちよ)が7歳で女城主となりました。道雪がなくなると、養子の立花宗茂が城主になりました。1586年、九州制覇を目指す薩摩島津の大軍・4万が博多に攻めてきました。わずか700余名の家臣と共に戦った、大友家の武将・高橋紹運(じょううん)は岩屋城(今の太宰府市)で壮絶な戦いの後に家臣ともども玉砕しました。紹運は宗茂の実父でした。しかし。この籠城戦により戦局は大きく変わり、豊臣の援軍を得た宗茂は島津軍を打ち破り、占領された城を次々と奪還しました。この地で、立花宗茂という武名をとどろかせたのです。これをきっかけに宗茂は秀吉の命により、柳川藩13万2千石の独立大名となりました。しかし、関ヶ原の合戦において西軍に組みしたため、改易され、浪人生活を送ることになりました。20年後、徳川秀忠にとりあげられて 、大名に復帰すると、1629年に旧領である柳川藩11万石に再封されました。奇跡の復活です。
今、福岡では、豊臣秀吉に「西国無双の武将」と評された宗茂と、妻(誾千代)をめぐる物語を、NHKの大河ドラマにという招致活動が進められています。義務教育の歴史の教科書に名前が出ていないので、あまり全国的に知られていませんが、まずは、福岡から立花宗茂のことをもっと知り、広めたいですね。福岡各地にある、そのゆかりの地を訪ねてみてはいかがでしょうか?

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