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東長寺の地獄めぐり「賽の河原」

2022年01月21日(金)
コラムニスト

福岡大仏台座下にある地獄めぐり、お勧めです。博多人形師が描いた迫力ある地獄絵、一切の光が遮断された闇の回廊等があります。地獄の雰囲気を味合うことができます。一度体験してみよう。また、二度、三度体験することで、自分の地獄観が変わります。
地獄めぐりをガイド中、子どもの地獄である「賽の河原」の絵について、日本語の上手な外国人のお客さんから、質問を受けた。

「この絵(賽の河原)には、どのようなことが描かれているのですか?」

2歳ぐらいから、10歳までの子どもがいくとされる賽の河原。死出の山の麓、三途の川のほとりといわれている。賽の河原では,石の塔が完成すると、親、兄弟の供養になると言われているので,子ども達は石を積み上げる。完成すると、鬼がやってきて、その塔を打ち壊して、次のように説教する「お前達は親を悲しませた罪でここにいるのだ」と、母親の胎内に宿り,十月十日の苦しみを与え,生まれた後は親孝行をすることもなくあの世へ旅たった。それが罪だというのである。ここまで説明すると2歳の子ども達が地獄に落ちるのか。生まれて間もない子ども達は純真で、罪など犯していないのではないか?という意見。

絵の話の続きとして、子ども達が泣き叫んでいると、そこへ、地蔵菩薩が現れる。子ども達を抱き寄せて「これから,私を冥土の父母と思いなさい。」と慰めてくれる。子どもの地獄にはちがいないが地蔵菩薩の登場により、そこは子どもの救済の場となる。というような説明をした。外国のお客さんからのコメントは、聞けなかったが、私は、どうもすっきりしなかった。自分が若い時、初めて見た地獄絵の「賽の河原」にも同じような疑問を持ったこと思い出したからだ。それは、2歳ぐらいの子ども達は、罪など本人の意思で犯したのではないのではないということ。
お坊さんに、このことについておたずねしたら,「誰一人として地獄から生き返った人はいません。だから、地獄について、沢山の話が今に伝わっています。」とのことでした。確かにそうだと思った。後で本を読んだ時。「古く、子どもは地獄におちることはなかった。それは,子どもが,純真無垢で罪など犯していないということではなく魂の行方がさだまっていないからである。」と書かれていた。子どもを失った親の悲しみは,平安時代の和歌には数多く残されているものの、こどもが地獄に落ちたという仏教説話には一つも見つからない。平安時代は賽の河原の場面は、なかったのである。ところが,室町時代になると、子どもの地獄である賽の河原が登場する。これは、おそらく民間の中で生まれた俗信であろう。というのである。
江戸時代末の世相がふんだんに盛り込まれた河鍋 暁斎 作「地獄・極楽めぐり」の賽の河原では、子ども達が楽しそうに石を積み、鬼ごっこに興じる子ども達。地蔵や鬼も仕事を忘れて、一緒に遊んでしまう場面。そんな楽しい賽の河原には、親より先に亡くなった罪を償う場としての悲壮感は見られないのである。一つの疑問、質問から、初期から変わらない地獄と、賽の河原のように時代とともに変わっていく地獄があることが分かった。

死後、人はどうなるのか、という疑問はいつの時代にも人々の最大の関心事であったのだろう。

参考文献 「地獄と極楽が分る本」 双葉社。「てくてく地獄さんぽガイド」田村 正彦 編著 グラフィク社。 参照

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