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空海さんと沖濱稲荷神社の関係?

2017年12月26日(火)
コラムニスト

沖濱稲荷神社(博多区古門戸町)は、太平洋戦争中の昭和20年6月19日の空襲により戦災を受けるまでは、光照寿院(弘法大師堂)と共存し、広く信仰をあつめていた所だそうだ。

古来の伝承によれば、この付近の海岸、沖の浜に、806年に遣唐使として唐より帰国の第一歩を印した空海さん(弘法大師)が、船旅の疲れを癒すため、しばしまどろんだ所で、その節の夢の中で、雲に乗った稲荷大明神が現れ「高野山に弘道の本拠を開くべし」とお告げがあり,当地に光照寿院という空海さんを祀る大師堂と共に当稲荷さまも祀られたという。

その時の逸話として「大師衣掛けの松」があり、代々松の木を守ってきたという伝承もある。

空海さんが遣唐使の留学僧として、中国から”真言密教”を会得して日本に持ち帰り、その後は東寺の住職、高野山(金剛峯寺122寺)の創建、四国八十八か所等の活動をされて日本の仏教布教に大きな足跡を残したことは良く知られていることと思います。

何故、博多にも空海さんの足跡が数多くあるのかを推察する(小説に書かれていること等を)と、当時の留学僧は、大陸の文化・学問を習得して持ち帰るのに10年~20年、または行きぱなっしが常識であったのが、空海さんはあまりの天才であったためか、2年間で帰国(33才の時)していることで朝廷からの許しが得られないというようなこともあり、半年ほど様子見を兼ねて博多にも滞在したようである。

帰国後に直ぐに京都に戻らなかったことが幸いして、博多の町には空海さんの足跡が残ったのだろうと思うし、その時の活動が後日に語られている弘法伝説(筑後川のエツ、杖立温泉、まむしの湯等)にも繋がるのでないかと思える。

現在の沖濱稲荷神社は空襲によって、光照寿院や神社に奉納されてきた他の貴重な伝承物は残っていないようだが、神社の左前には「川上音二郎の生誕地」である記念碑がある。

ここでも博多の奥深さを知ることができて、いろいろな人の影響があり、そのことを大事にしてきた人々の思いが、今の博多にしてきたのだろうと想像することができて、やはりおもしろい町には「物語」があることが実感できる。

ちっちゃな神社だけれど、大きな足跡が残っている「沖濱稲荷神社」である。

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