博多のメインストリートである大博通りの「歴史の散歩道」に【稲作文化の原点・水田と足跡(スタートから3番目のポイント)】の展示があります。ここに展示してある遺跡は那珂久平遺跡の写真です。水田の中におびただしい数の弥生人の足跡がありますが、残念なことに足の形とか大きさを知る事は、調査が終了し、埋め戻されているため確認はできませんでした。
しかし、幸運にも近くに板付遺跡があり、那珂久平遺跡より古い時代の水田跡があり、そのうえ『弥生人の足跡』を見ることが出来ることがわかり、さっそく行ってきました。
これが大博通りの「歴史の散歩道」の那珂久平遺跡の水田と足跡です。
板付遺跡は、御笠川と諸岡川に挟まれた標高12mの低い台地上にあり、その周辺に広がる低湿地が水田として利用されていた事が、日本考古学協会、明治大学、福岡市教育委員会等の調査結果で、日本で最初に稲作を始めた頃の様子が分かってきました。また、板付遺跡の集落は、弥生時代の前期初頭の環濠集落であることが分かりました。
さっそく、弥生人の足跡のある「弥生館」に入りましょう。入館すると、最初の展示が『弥生人の足跡』と『発掘時の写真』です。
これが『弥生人の足跡』です。
これは発見された足跡に石膏で模りしたものです。サイズは23.5cm~24.0cmで、これらから推定する身長は約150cm位だそうです(弥生館の担当者の話)。
足跡からは力強さ、たくましさ、器用さが伝わってきます。土踏まずはあまりなく、指の間が極端に発達していて、ちょうどイチョウの葉とか陸上競技で使用するスパイクのようです。実に感動的です。
現代人との比較
現代人(私)の足と比較すると違いが分かります。
日本最古の水田(板付遺跡)発掘時の足跡
黒っぽい、粒状のものが足跡です。
弥生館には『弥生人の足跡』のほか弥生人の生活が良くわかる多くの展示品があり、充分に楽しむことができます。
次に、弥生時代のムラ(環濠集落)が直ぐ隣にあります。
ムラには、断面がV字形の溝を、楕円形にめぐらし、ムラを守っています。
幅2~4m、深さ2~3m、東西約80m、南北約110mの環濠
台地の東西の低位段丘上には旧諸岡川から用水路が引き込まれ水田が広がっています。
遺跡の中を通って下校する板付北小の子どもたちは“最高の教育環境”です。
板付遺跡は博多区内にあり、あまりにも近すぎてゆっくり見ていない人も多いのではないでしょうか。
私たちの食の原点である「米」はここから始まったのです。是非もう一度訪れてください。