3月下旬を迎え、梅のシーズンがほぼ終わりを告げようとしていますが、季節は少しさかのぼりますが、博多に伝わる仙厓さんの「雲井の梅」の話を紹介します。
“梅”といえば、太宰府天満宮の「飛梅伝説」で、都から菅原道真公を追って梅の木が飛んできた、という話、また、女流歌人 野村望東尼が晩年を過ごし、幕末の動乱期に高杉晋作をかくまったといわれている「平尾山荘跡の梅」のほか、舞鶴公園、油山市民の森等多くの梅の名所がありますが、博多区呉服町には、幻住庵の「雲井の梅」があります。
黒田10代藩主黒田斉清は(1795~1851)、菊の花をこの上なく愛し、天下の名品を庭園に集め、客を招いては楽しんだのです。
ある日、今を盛りと咲き乱れる菊園の中に庭師の飼い犬が乱入し、いく本かの枝を折ってしまった。藩侯は烈火のごとく怒って庭師を手打ちにすると言い渡した。
これを聞いた仙厓さんはさっそく夜半に庭園を訪ねて、研ぎ澄ました鎌を手に藩主が大切にしていた菊を残らず刈り取ってしまった。
翌日様子を見に御殿を訪ねると大騒ぎである。藩侯の目は血走っている、刀の柄を握った藩侯の前に庭師の命は風前の燈火である。
和尚は藩侯の前に進んで身なりを整え、「お殿様、この菊を刈り取ったものは、私、仙厓でございます さ、お手打ちを蒙りましょう。」「だが一言、人の命と菊の命とどちらが大事でしょうか。しかも藩内は大飢饉で百姓は困っています。これに救いの手ものべず花いじりや、菊見の宴でもありますまい。民百姓あってのお殿様である事をとくとお考えくださいませ。」
もとより聡明な藩主は、「和尚やりおったわい!」と素直に非を認めて「和尚にしてこそ」と感謝し、そのお礼にと藩主が愛していた「雲井の梅」を送ったのです。
この梅は今も幻住庵の玄関にあって、毎春美しい花を咲かせています。
幻住庵の「雲井の梅」2022.3.8 撮影