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「ういろう」を求めて約300里

2014年08月21日(木)
コラムニスト

皆様「ういろう」といえば、何を想像されますか?
大半の方が名古屋や山口の名産品で、ヨウカンみたいなお菓子を想い浮かばれたのではないかと想います。
ところが日本で始めて「ういろう」と呼ばれる物が伝わったのが、実はこの博多の地だったのです。
その「ういろう」は室町時代、中国(元から明に変わった頃)から礼部院外郎(れいぶいんがいろう)という官職名で(今でいう外交官に近い)医者の陳 延祐(ちん えんゆう)が始めて日本を訪れた際(現博多区の「石城山 妙楽円満禅寺」)に持ち込んだ、1mm程度の粒状の薬でした。陳 延祐はその後、日本に帰化し陳 外郎(ちん ういろう)と名乗られたそうです。
当初その薬は、透頂香(とうちんこう)と言う商品名で販売されておりましたが、苦いけれども優れた万能薬として珍重され大変人気となり、透頂香を買い求める客の間で次第に陳 外郎の名前をとって「ういろう」と呼ばれるようになったそうです。またその時に購買客の接待用として出されたお茶と共に、米粉と砂糖を練って蒸し上げたお菓子も何故か「ういろう」と呼ばれ親しまれる内に、前述のお菓子の「ういろう」になりました。
万能薬の方は時の室町将軍 足利義満にも気に入られた縁もあり、陳さんの子孫が小田原に転住移され、名字も外郎(ういろう)姓に改姓されて現在でも「ういろう」という商品名で売られております。
先日家内と東京旅行に行った折、小田原まで足を延ばし、その本店を訪れて万能薬「ういろう」を買って参りました。歌舞伎十八番の『外郎』や弥次喜多膝栗毛にも出て参ります「ういろう」を皆様も機会がご座いましたら是非ご賞味下さい。

 

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