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『「正定寺」に福岡空襲時の焼夷弾破片が残っている』

2018年08月09日(木)
コラムニスト

昭和20年6月19日の深夜から20日未明にかけて米軍のB29爆撃機による福岡空襲は、正定寺周辺地区に甚大な悲劇をもたらした。
正定寺の天井を突き抜け落ちて来た焼夷弾破片が、池で泳いでいる沢山の鯉に見守られ、今でも縁側の下に在った。


訪問した日は山笠の真っただ中、「恵比寿流」の控所で、締め込み姿の若衆で賑わっていて、許可を頂き上がる。
昭和通り石堂大橋の西側に在る浄土宗のお寺である。


「消火に当たった小僧さんの話」「近隣の竪町の延焼を膨大な池の水が救った話」「旧名島城から移設された奥座敷の切腹の間」、生前に造った聖福寺の仙厓和尚直筆の「八丁へ(屁)と彫られた墓石」→古渓町の魚問屋の西頭徳蔵が造った物で博多人形師の西頭哲三郎は子孫である。

博多ガイドの会では、博多空襲の日前後に、毎年「戦災地蔵めぐり」を企画しているが、過去の歴史の風化が無い様にと考え、此処も見学場所の1つとしたく思っている。
見学は電話で申し込めばOKで個別に行かれるのも良いかと思う。
寺歴は資料が無く明確な物は無いが、黒田官兵衛が博多に築城してから、東側の砦として保護したお寺でもある。

 

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