中洲の大洋映画劇場前の明治通りを挟んだ向かい側に製錬所跡の石碑が立っています。
江戸時代末期1847年福岡藩最後の藩主11代黒田長溥(ながひろ)によって開設された製錬所跡です
長溥は薩摩藩出身で2歳年上の島津斉彬とは兄弟同様仲が良く、ともに蘭癖大名と呼ばれるほど西洋の知識を取り入れることに熱心で、有能な人材を家柄や出身に関係なく抜擢し長崎などに派遣して西洋の科学技術を学ばせ、製錬所で研究させ反射炉、鉄砲、鋳物、時計、ガラス器具など制作させました。
放生会のチャンポンもここで生まれたそうです。
のちの福岡の産業技術の基礎を築いたとも言われてます。