博多区冷泉町2で、江戸時代後期から明治時代に「博多人形」の素焼人形等を焼いていたとみられる窯跡が出土されました。窯跡には、まだ埋められたままの人形が沢山ありました。
今回出土された敷地は、昔「中ノ子<なかのこ>家」の地所で、中ノ子家は、この地で素焼き製品をつくっておられ1808年(文化5年)に中ノ子安兵衛・吉兵衛の親子が素焼き人形の製造をはじめられたとのことです。
明治時代の博多人形師は、中ノ子家と、なんらかの師弟関係があり、そして人形の生産・技術の普及や発展に役割を果たしてこられたとのことです。
以上、先日福岡市文化財部埋蔵文化財課の担当者による現地説明会で、説明して頂きました内容です。