1709年、貝原益軒が編んだ地誌「筑前國続風土記」によれば、博多の南の外郭に瓦町から辻堂の東まで幅20間(36m)の堀があったと、開削は大友家の家臣、臼杵安房守と伝えている。 この堀は博多の南側の防衛のためで、この房州堀を越えて、博多に入る口に辻堂口門があったとも伝えている。この辻堂口門が、今年3月に承天寺横に完成した「博多千年門」の由来になっている。
現在残っている房州堀の遺構(万行寺南側煉瓦塀下側の石垣)
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