長崎市の中心地近くにある官庁街のバス停の名は興善町。江戸時代初期、長崎に進出した博多商人「末次興善」の屋敷があったことから町名がつけられた。
2代目末次平蔵は長崎代官にまでのし上がったやり手だったが、4代目の時は中国との密貿易で島流しになっている。
屋敷跡を尋ねてみた。サント・ドミンゴ教会跡と書かれている。キリシタンだったが、棄教して、キリシタン弾圧を積極的におこなったという。教会跡に屋敷を構えるなんて、どんな気分だっただろうなあ?
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