今年は「昭和100年」そして「戦後80年」になります。昭和の初め頃、昭和11年(1936年)3月の福岡市内(博多部)の地図(鳥瞰図)です。大正から昭和初期に起こった大観光ブーム。そのブームの中、日本内外の旅行パンフレットに鳥瞰図を取り入れたのが「大正の広重」と呼ばれた吉田初三郎です。彼の鳥瞰図の最大の特徴は極端なデフォルメで、大胆な構図と鮮やかな配色による豊かな表現に彩られ、今日と比べても遜色ないほどの詳細な情報が盛り込まれた旅行案内が多数出版されました。
さあ、当時の博多の街並みを見てみましょう。二代目博多駅の前を路面電車(ちんちん電車)が通り、当時の観光地名や電停名が記載されてます。辻堂~矢倉門~瓦町~管弦町~住吉宮前あたりは、今の幹線道路とはかなり違っている感じです。現在の博多駅辺りは広々とした農業試験場もあり住宅もまばらですね。明治通り(当時は貫線と呼ばれる)呉服町から土居町通り沿いに大きな建物が並んでます。共進亭ホテル(黄色ビル)や反対側に外車輸入専門店、梁瀬(ヤナセ)商会、福岡で最初にエレベーター(木製)を備えた中村家具店、キリンビール、明治屋、そして旧十五銀行福岡支店。
下地図の福岡市全景には、リンドバーク夫妻が旅行途中に水上機を操縦し来訪した名島水上飛行場(宿泊は共進亭ホテル)、出来たばかりの奈多の国際飛行場も描かれています。そして昭和19年には席田飛行場(現福岡空港)が建設開始、そろそろ博多の町にも軍靴の響きが聞こえてきます。





