博多駅 スタート!
博多駅からスタートです。
駅前広場でも頻繁に催しが行われています。
大陸文化の入り口だった博多には、饂飩・蕎麦・饅頭・お茶など日本の発祥地となったものがあります。
それらゆかりの地をめぐります。
博多駅からスタートです。
駅前広場でも頻繁に催しが行われています。
日宋貿易商の謝国明は、聖一国師の熱心な支持者で私財をなげうって、承天寺の創建に尽力した人物です。謝国明が大晦日、貧しい人々にそばをふるまったことが、年越しそばの始まりと言われています。
謝国明が亡くなった後、楠木を植えて祀ったことから、彼の墓所は地元の人に「大楠様」と呼ばれ親しまれています。
宋での修行から帰国した聖一国師は、「水磨」と言う水車による製粉技術を持ち帰り、うどん・そばの作り方を日本に広め、茶店主人の栗波吉右衛門には酒饅頭の作り方を伝授し「御饅頭所」の看板を与えます。
さらに、聖一国師と共に宋から帰国した満田弥三右衛門が持ち帰った唐織の技術が博多織の始まりとされています。
また、博多の町に疫病が流行した際、弁円が木製の施餓鬼棚に乗り担がれて、疫病退散を祈祷して聖水を撒いて町中を回ったことが博多祇園山笠の起源とされています。
承天寺には、本堂傍に饂飩蕎麦発祥之地碑、御饅頭所碑、満田弥三右衛門の碑が、山門の横に博多祇園山笠発祥之地の碑があります。
元で礼部院外郎という官職についていた陳延祐という医者が元滅亡後、妙楽寺を頼って来日します。彼が調整した寿楽「透頂香」は将軍足利義満に賞美され、その秘法を子孫が代々伝え、後世には先祖の官名をとり「外郎(ういろう)」として京都や小田原で売り出して有名になり、今日ではお菓子の名として伝わっています。
空海(弘法大師)が日本で最初に創建したお寺です。真言密教が東に長く伝わるようにと祈願されたそうです。弘法大師が創建したお寺としては日本で一番古い霊場です。