おうがくざん そうふくじ
寺社仏閣 千代・吉塚エリア黒田家の菩提寺で如水、長政をはじめとする黒田藩主や博多の豪商島井宗室、玄洋社の頭山満などの墓地があるお寺です。臨済宗大徳寺派
■黒田家菩提寺
仁治元年(1240)に 湛慧禅師によって.大宰府に創建されましたが、天正14年(1586)の島津氏と大友氏との 岩屋城の合戦によって焼失しました。その後・慶長5年(1600)に福岡藩初代藩主黒田長政 によって現在地に再建がなされ、黒田家の菩提寺となりました。墓所の参拝にはお寺の許可が必要です。
■山門・唐門
崇福寺山門は、福岡城本丸表御門として建立されたもので、 大正7年(1918年)に陸軍からの払い下げによって移設されました。 福岡県有形文化財に指定されています。 また、境内には 名島城から移築されたと伝えられる崇福寺唐門があり、こちらも県指定有形文化財に指定されています。
■旭地蔵尊
開祖、随乗坊湛慧が横穴を掘って隠棲しそのまま座位の姿で息絶えたとされる地に石塔が立てられ、のちに地蔵が祀られました。崇福寺が現在の地に移転した際に地蔵も共に移され、お百度参りの地として崇敬を集めています。
■嶋井宗室
博多の三傑(嶋井宗室、神屋宗湛、大賀宗九)と呼ばれる豪商の一人で、織田信長、豊臣秀吉とも信仰がありました。本能寺の変に遭遇した際、本能寺の居間に掛かっていた弘法大師真筆の「一切経千文字」を持って脱出し、大師にゆかりのある東長寺に寄贈しました。また、黒田長政の福岡城築城にも協力しました。宗室が残した17条の訓戒は日本初の社訓とも言われています。
■玄洋社
明治時代に旧福岡藩士らが中心となって設立した政治結社で、「大アジア主義」をかかげ、当時欧米諸国の植民地にあったアジア各国の独立を支援しました。崇福寺には玄洋社総帥の頭山満や外務大臣だった大隈重信を爆殺しようとした来島恒喜のお墓があります。