れいぜんざん りゅうぐうじ
寺社仏閣 博多旧市街エリア鎌倉時代に人魚が捕えられ埋葬されたという伝説が残るお寺です。
■人魚塚
創建時代は袖の港の海辺にあり浮見堂(うきみどう)と称されていました。
鎌倉時代はじめの貞王元年(1222年)、漁師の網に人魚がかかり、その報告を受け、都から勅使として冷泉中納言(れいぜいちゅうなごん)が下り、しばらく浮御堂に滞在されました。
占いの博士安部大富(あべのおおとみ)に占わせると「国家長久の瑞兆(ずいちょう)」というので、人々は大喜び、この人魚を浮御堂の地に手厚く葬り、「人魚は龍宮の使い」ということで、寺の名を龍宮寺、また勅使冷泉中納言にちなんで冷泉山と名付け、このあたりの海を冷泉の津というようになりました。
一般に公開はされていませんが、ここには今も人魚の骨と江戸時代に描かれた人魚の掛け軸が保存されています。明治の頃まで、縁日にはこの人魚の骨をタライに入れて水を張り、不老長寿、無病息災に霊験ある水として参拝者に飲ませていたそうです。
■観音堂
聖観世音菩薩が祀られています。太閤秀吉の博多町割り(1587年)により博多七観音(大乗寺観音、妙楽寺観音、龍宮寺観音、聖福寺観音、東長寺観音、観音寺観音、乳峯寺観音)の一つとして昔から多くの人の巡礼の場となっています。
■連歌師
飯尾宗祇 応仁の乱で荒廃した京都を逃れた連歌師飯尾宗祇は、九州寺を巡遊する際に龍宮時を宿とし連歌百韻を興行しました。世にこの連歌が「博多百韻」と言われています。「博多百韻」の原書は残っていませんが、古写本が北九州市立図書館に収蔵されています。