舁き手の衣装は「締め込みに水法被」と表現されますが、それだけではなく、素肌に「たすきお守り」をかけ、頭には役割を示す「ねじり鉢巻き」胴には「サラシの腹巻き」をつけ、足は「脚絆」に地下足袋。「舁き縄」を右腰の締め込みに挟んでいます。
このような衣装になったのは明治以降であり、江戸時代などの屏風絵などを見ますと、上半身は裸で、下半身はふんどし。足はわらじか裸足だったようです。
衣装に関するエピソードがあります。博多祇園山笠が昭和55年にハワイのアロハ・ウィーク・フェスティバルに参加することになり、事前の協議でアメリカ側が山舁き衣装に問題があると言い出したそうです。それは、お尻丸出しの締め込み姿がセクシーすぎるということだったそうです。
そのため、長法被を着て山を舁こうかなどと検討されたそうですが、最終的には「ハワイのカメカメハ大王もふんどし姿ではないか」と言う山笠側の言い分が通ったそうです。