博多部の博多湾に面した東側に位置する大浜地区(下呉服町)を歩いてみた。
中世の昔は「息の浜」とも呼ばれた海岸線の地域で、繁栄の中心地であったようだ。
大陸との交易で栄えた博多湾の様子を示した「絵図」がある大博通りのモニュメントを観察し、大浜の町中に足を進めると博多商人の足跡(ルーツ)が感じられる場所があった。
末次興膳の屋敷跡、伊藤小左衛門の屋敷跡とその悲話にまつわる「萬四郎神社」等があり、その由来を探ってみると、1600年前後の黒田藩が成立する辺りからの商売を中心とする町の成り立ちが見えてきた。
秀吉の庇護のもと、商人たちは博多の町を復興させたが、その時、既に衰退の兆しがあった博多湾は、遠浅で大型化した船の出入りが難しくなっていた。
それとイエズス会(キリスト教の布教団)の宣教師たちの働きかけで、貿易の舞台は長崎へ移った。それに合わせたように時代を見通した博多商人が末次興膳である。
末次興膳は本拠を博多(大浜)に構え、長崎に拠点を置いて、一族からは長崎代官までなっている。いまでも長崎には、その名残りの「興膳町」という地名も残っている。
博多の豪商と称される三傑(嶋井宗室、神屋宗湛、大賀宗九)と匹敵する、末次興膳と、伊藤小左衛門にも着目して欲しいと思います。