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明治の博多の風物詩「松原水売り」

2023年05月15日(月)
コラムニスト

「博多の端っこ~境界さんぽ」という企画ガイドコースが行われることになり、博多区と東区の凸凹形の境界に在る歴史のあとを歩いてみた。千代県庁口から東公園へ入ってすぐの所に「松原水」と書かれた井戸の跡がある。明治時代は水道が敷設されていなかった。井戸を利用していたが旧博多部の水は塩分が多く、飲用には千代の松原水を利用してきた。しかし、「松原水」の周囲に家屋が建て込んできたため水量不足や家庭汚染水等の水質低下があり、明治29年(1896年)市は水確保のため、工費50円で市設の井戸を掘った。これが「松原水」の起りである。「松原水」は市によって厳しく管理され、明治33年10月から販売が開始された。販売業者は、大八車に水桶12個を積んで戸別に配達。大正5年(1916年)頃には50ほどの業者があり、1桶(18リットル)が5銭であった。この水は、明治33年に皇太子嘉仁親王(大正天皇)が来福の際にも飲料水として使われている。市設の井戸は、大正12年に曲渕ダムが完成するまで続いた。(「福岡便覧」より抜萃)
江戸に水売りという職業があり、人の役に立つ町の衛生管も担った水売りの矜持というものに興味があって、「松原水」について知りたいと思った。博多にも都市になり、水道設備ができるまで「水売り」があったことやその足跡を訪ねることができたことに感謝した。

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