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旧赤間町の石碑と坂本卯平さんのこと

2024年10月18日(金)
コラムニスト

旧赤間町を歩いた折、2015年9月7日のコラムで長木昭さんが紹介された寿福院様の側にあった石碑に刻まれた文字に目が止まりました。そこには次の様に書かれていました。「旧赤間町 細工物師、宮大工など居住。狂歌の名人 泥卯こと坂本卯平も大工としてこの町にいた。」と。石碑にまでお名前が刻まれている坂本卯平さんとはどのような人であったか。福岡市総合図書館所蔵の「博多風土記」(昭和44年3月30日発行 小田部博美氏著)を読んで以下のことが分かりました。
卯平さん(幕末の嘉永年代に出生、明治35年に53歳で逝去)はお寺や神社の建立や営繕をする技術に優れた宮大工さん。平素は大人しい人でしたが、好きなお酒が入ると、急におどけだし指を丸めて得意の指笛をピーと吹いて、周囲の人を楽しませました。また同時に「泥卯」を名乗る狂歌(5・7・5・7・7)の作者でした。
例えば次のような逸話と作品が前述の本の中に。お宮の社殿の建築に従事中、板不足のため仕事が捗らず、黒田藩のお侍さんより催促された際に作った歌。
「裏板を御能舞台におきな面、たろう冠者かやたあるまいかや」
詳細な解釈はできませんが、私は何となく可笑しく感じました。
石碑に刻まれる程、人々の記憶に残る人であったことは間違いないようです。

 

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