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コラム

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博多祇園山笠「舁き山笠」の旋回点に立つ清道旗の歴史について

2016年06月01日(水)
コラムニスト

清道とは「天子の行幸をはらい清める」神聖な道を回るという意味は大きく,祭りに参加する者はその意味を知り,襟を正さなければならない。
深紅のラシヤ地に縫い付けられた真白な「清」「道」の文字。縁には金色の刺繍が施されている。長さ約6.5m,幅約1m。舁き手の晴れ舞台「櫛田入り」には欠かせない清道旗。「オイサ!!オイサ!!」,追い山笠(追い山馴らし)では,舁き手達が櫛田神社の境内にはためく清道旗を時計回りに1周。一番山笠となる流れのみが博多祝い唄を歌い上げる。男達の晴れ舞台「櫛田入り」の目印がこの旗だ。
旗の歴史は,江戸時代末期1848年(嘉永元年)にさかのぼる。当時,櫛田入りの旋回点は曖昧で,争いが絶えなかった。富商(嶋井宗室)が住んだ東町流(東流の前身の一つ)の下東町(当時の町名:東町=下東町・上東町,今の博多区中呉服町=東町筋)が解決策として,旗の設置を提案して採用されたのである。江戸時代末期の1848年(嘉永元年)から下東町による奉納と伝わる。
旗は1945年(昭和20年)福岡大空襲で焼けましたが,1957年(昭和32年)に新調,1980年,1999年に作り替えられた。現在の旗はそれから4代目,170年(平成27年)の誇りを抱いて立っています。ただ,守っていく苦労は並大抵ではない。旗は期間中,強い日差しを浴びて雨ざらしとなる。20~25年ごとに新調しなければならない。
今夏も,7月6日~櫛田神社境内に清道旗が立つ。
追い山(追い山馴らし)の日には山笠と関係の深い東長寺と承天寺前にも立つ。

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