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福岡空港の今昔

2021年02月15日(月)
コラムニスト

都心からアクセスの良さでは日本一とも云われている「福岡空港」。

国内旅行や海外旅行で沢山の人が利用しています。最近も空港ターミナルビルがリニューアルオープンし、ますます使い勝手がよい空港へと変わりました。

〈空港の屋根看板〉

〈展望デッキとビアホール〉

福岡空港の元々の始まりは,昭和19年に旧日本陸軍が「席田(むしろだ)飛行場」として建設をはじめ、

昭和20年に完成したものです。

終戦後、席田飛行場は米軍に接収されます。

この時点で「板付飛行場」と呼ばれるようになりました。

元来、板付は旧筑紫郡那珂町の地名でした。

それが何故「板付飛行場」と呼ばれるようになったのでしょうか?

一説では米軍人にとって「MUSHIRODA」という発音は難しく、隣接する「ITAZUKE」となったとも云われています。

朝鮮戦争(昭和25年~28年)の時には、戦闘機や爆撃機の発進基地となりました。

こうして長い間、米軍基地として使用されました。

基地は、年に一回市民に開放されました。

その時の写真があります。(昭和30年代末)

機体に「U.S.AIR FORCE」と書かれたジェット戦闘機が写っていますね。

また、昭和43年6月の夜には建設中の九大大型電算機センターにファントム偵察機が墜落しました。

ちょうどラジオの深夜放送を聴いていた筆者も臨時ニュースに驚き、自転車で現場に駆け付けた記憶があります。

その後、吉は昭和47年4月に日本に返還されました。

しかしながら、まだ敷地内に一部米軍基地機能が残っていることをご存知でしょうか?

〈基地を市民に開放〉

 

基地としての時代には、いろいろな出来事もありましたが、近隣の若者たちは基地から発信される極東放送(Far East Network)で、ビートルズやローリング・ストーンズを聴いたものです。

“Fifteen-fifty Itazuke!”と早口でまくし立てるDJの声が今でも耳に残っています。

 

様々な歴史を見てきたこの空港ですが、今後滑走路が二本になり発着回数が増えれば利便性がますます高まります。

「福岡空港」は今後どのように発展していくのでしょうか?楽しみです。

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