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石城山 妙楽寺

せきじょうざん みょうらくじ

寺社仏閣 博多旧市街エリア

ういろう伝来の地

今では名古屋名物の「ういろう」が伝来したお寺です。博多の豪商 神屋宗湛(かみやそうたん)・伊藤小左衛門(いとうこざえもん)や黒田藩家臣のお墓もあります。

■ういろう伝来之地碑
鎌倉時代の創建当初は博多湾岸の沖の浜にあり重要な外交施設としての役割を果たしていました。元で礼部院外郎という官職についていた陳延祐という医者が元滅亡後、妙楽寺を頼って来日します。彼が調整した「透頂香」は将軍足利義満に賞美され、その秘法を子孫が代々伝え、後世には先祖の官名をとり「外郎(ういろう)」として京都や小田原で売り出して有名になり、今日ではお菓子の名として伝わっています。

■神屋宗湛
戦国時代から江戸時代にかけて活躍した博多豪商・三傑の一人で織田信長や豊臣秀吉に謁見したこともあります。秀吉が戦国時代に戦で荒廃した博多のまちを復興させる際(太閤町割り)に貢献し博多を復興させた恩人です。

■伊藤小左衛門
博多の貿易商で、黒田藩の御用商人も務めていましたが、徳川幕府の鎖国政策の折り、密貿易の罪で捕えられ、一族郎党ともに処刑されました。この時、小左衛門の幼子5歳の三男 小四郎と3歳の四男 萬之助も共に処刑され(一説には刑を免れたともいわれます)、2人を不憫に思った博多の人たちは2人の霊を萬四郎神社に祀りました。

■呑碧桜(どんぺきろう)
妙楽寺が沖の浜にあった頃、三世住持無我禅師が重構された高楼でそこから景勝はすばらしく、元や明国にまで知れ渡っていたそうです。現在は本堂の「呑碧」の額がかけられています。

基本情報/アクセス

名称
石城山 妙楽寺
住所
博多区御供所町13-6
アクセス
地下鉄 「祇園 1番出口」 徒歩5分
料金
なし
お問い合わせ先
092-281-4269

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