博多だより

2017.04.27

コラムニスト:

明、朝鮮、琉球、シャム、ベトナムとの貿易で栄える博多は、多くの地域からの産物が集まる中世最大の貿易港として成長した。特に、現在の大博通りと昭和通りの交差する(蔵本交差点)あたりは、嶋井宗室、神谷宗湛、大賀宗九、伊藤小左衛門、末次興善といった博多商人(巨大商社)が軒を並べていたのです。博多商人については次のように伝えられています。

嶋井宗室(1539~1615年):博多の名酒「練貫(ねりぬき)」の醸造販売と共に、明、朝鮮との貿易により巨利を得た、また、茶人としても有名で、織田信長、豊臣秀吉などの天下人まで親交を広げた。1582年本能寺の変の時、茶会に招かれ同寺に宿泊していた宗室は床の間に飾られていた弘法大師筆「千字文」を取り、博多に持ち帰ったのです。

神谷宗湛(1553~1635年):世界遺産の石見銀山は、曾祖父寿禎が開発したもので、当寺世界の銀の3分の1を占め、宗湛は世界的富豪だったのです。更に、秀吉に気に入られ、博多町割り、朝鮮出兵関与で莫大な富を得た、また、1582年本能寺の変の時、茶会に招かれ同寺に宿泊する予定を取りやめ博多に戻り、難を逃れた。

大賀宗九(1561~1630年):黒田如水が岡山から連れてきた商人で福岡城築城の祭に多額の資金を献上し、藩の御用商人としての地位を確立した、嶋井宗室、神谷宗湛を加え博多商人の三傑と称せられた。

伊藤小左衛門( ? ~1667年):黒田藩の御用商人として近世随一の豪商にのぼりつめた。銀7000貫以上の資産を持つ大豪商であり(当時銀千貫以上を豪商といった)その財力は、博多三傑をしのいだと伝えられている、しかし、禁制を破って朝鮮への武器輸出により処刑される。

末次興善(?~?年):長崎にいち早く進出した博多商人で、長崎の発展に寄与するが、四代目の時密貿易が発覚し財産没収、一族死罪や島流しとなる。

その位置関係を示したのが下記の略図です。

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