博多だより

『高場乱(たかば おさむ)の「人参畑塾跡」発見』

『高場乱(たかば おさむ)の「人参畑塾跡」発見』

2013.01.08

コラムニスト:

高場乱は、日本の近代史の中で大きな影響を及ぼした偉大な女子教育者である。
博多駅前四丁目のバス停の西側に在った。

旧町名は、人参畑168番地。元々、黒田藩の藩医である眼科医の家庭に生まれた。娘しか居らず、男として教育された様である。9才の時、黒田藩に名字帯刀を申請し許され、10才にて男として元服。名前の由来も「乱を治む」に起因している。男装をして両刀を差し乗馬し、左右に血気盛んな青年を随伴し往診にあたった。現役の女性眼科医でもあったが、亀井南冥の亀井塾にて儒学を学び、後に「興志塾」を開く。そこは黒田藩の薬用人参畑跡でも有り「人参畑塾」とも言われた。先生は、’人参畑婆さん’と呼ばれ、明治の初めの頃の変わりゆく歴史の中で多くの青年達を感化した。

高場乱に影響を受けた者は、300人は超えると言われ、頭山満、中野正剛、広田弘毅等多士済々である。又、亀井塾の同窓には広瀬淡窓が居り、明治憲法草案を作った箱田六助も居る。福岡藩の明治初期の「乙丑の獄」で処罰された加藤司書や建部武彦の遺児達も、豪傑塾でも有った「高場乱塾」に参加し、反体制的な教育を受けたものと思われる。徳川末期から明治の始めに掛けて、福岡藩は体制が大きく揺れ、当時は勤皇派・佐幕派と別れ、歴史を左右する事件も多く、色んな形で啓蒙した女傑でもある。明治24年61才にて生涯を閉じるが、その霊は、崇福寺にて、頭山満・来島恒喜と並び眠っている。

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